たちばな し

休職と復職にかかる記録残しです。ビジネス論も少しあるよ。

ビジネス書はやめておけ、という金言

久方ぶりでございます。

新型コロナ禍下にあって出歩かなくなり、かといってうどんうめえとかやってたら、空腹時血糖が170超えまして、観念して現在スーグラとかいう高血糖治療薬を処方されるようになりました。橘です。

体から出る尿を作る前に腎臓では原尿というものがまず作られまして、そこから水分や糖やミネラル等々、必要なものを再吸収して、いらないものだけ膀胱に送ります。この原尿から尿の製造過程で糖の再吸収をしないようにすることで血糖値を下げるお薬です。まあ糖分のある尿が出るのでまさに糖尿になるわけですけれども、いまのところ低血糖発作等は起きてないです。いい薬ができたものです。

さて、わたくし橘は何の巡り合せかFortune500の企業の片隅に派遣社員を経て正社員として潜り込むことになったのが何年か前の話でございます。で、社長が本社から数年に1回、日本にやってくるのです。そのときにはほぼ全社員を集めてタウンホールという集会がおこなわれます。1時間位。そして終わりにはQAコーナーがあります。

他の社員がビジネスの話を質問しているさなか、わたしもきいてみたいことがあったのです。ただ、勇気も踏ん切りもない人間でしたからもじもじしておりました。ただそのときは何故か運があったんですね。挙手して質問する機会を得ることができました。私はどんな本を読んだらあなたのような経営者になれるかと尋ねる機会を得ることができました。

理由は全くわかりませんでしたが不意を食らったのか大変面白かったらしく、物語から何からいろいろな本を読んだこと、好きな本を読んだらいいとアドバイスを貰いました。そして「ビジネス本だけはだめだ」と彼は付け加えました。この意味を私は後々知ることになるのです。

私はビジネス書は読んでたのでちょっと困りました。週刊東洋経済週刊ダイヤモンドを毎週月曜買って読むのが趣味で、これは10年以上続いている趣味ですが、ビジネスの話は面白いのです。つまるところ商売の話なわけですが、社会科学的な物事を対象にした読み物なので、ノンフィクションが好きな私にはビジネス雑誌はうってつけだったわけです。

 

このタウンホールからのち、上長が発狂し、チームは崩壊し、上長は役員から休養を提案されたところ激昂して出ていき、いっぽう私は疲弊して電流を流しても動かないネズミ(cf 学習性無力感)になっていました。上長がいないままの状態は組織的にあまりよろしくなく、かといってなり手がいなかったのですが、微妙なタイミングで社内から新しい上長がやってきました。この人も曲者でした。私の神経症のトリガを引いたのは今思えばこの上長だったなあと。

過去の実績はある人ですが、実績を抜きにしてしまえば(というても実績を取られてしまえばどんなに優秀な経営者でも意識高いだけの人になってしまうので実績は大事です。) 意識高い系の人でビジネス書の受け売りの押し売りにうんざりすることになりました。

単純接触効果も、メラビアンの法則も自分で話を持ち出した割に何から何まで理解してないし実践できてもいない!

こんなところで陰口叩いても血糖値が下がるわけでないので締めます。

なぜビジネス書に傾注してはいけないのか、思うところを次回書いていこうと思います。

PDCAとOODAとどちらを採用すべきか

おはようございます。

PDCAサイクルってありますよね。Plan->Do->Check->Actionのやつ。一方で近年はOODA (Observe->Orient->Decide->Act)なんてのも出てきています。私は両方とも試行錯誤のプロセスを捌いたらこうなりました的なものと理解しています。

 

ja.wikipedia.org

 

ja.wikipedia.org

Act(Action)がかぶってます。行動するための考え方という点で両者は同じ。もっと冷静に見ると、PDCA、DoとActがかぶ、まあこの指摘は既にあるからいいや。

一番の違いは、PDCAが他者の存在をぼんやり意識していないのに対し、OODAは観察対象というのを明確に持つ点です。

WkipediaではPDCAは次の4要素と説明されています。

  1. Plan(計画):従来の実績や将来の予測などをもとにして業務計画を作成する。
  2. Do(実行):計画に沿って業務を行う。
  3. Check(評価):業務の実施が計画に沿っているかどうかを評価する。
  4. Act(改善):実施が計画に沿っていない部分を調べて改善をする。

OODAは次の通りです。

観察(Observe)- 情勢への適応(Orient)- 意思決定(Decide)- 行動(Act)

PDCAのPのところにOODまで入っちゃってんですよね。でアクションは同じで、これを繰り返すことも同じ。PDCAのCとAも、OODA全部入ってんですよね。調べる≒観察ですし、情勢というのを計画に沿っているかどうかと解釈すれば同じです。改善をするというのは意思決定と行動も含んでますよね。

題名がミスリードですけどどっちを採用すべきという話というよりそもそもOODAしか存在していないのです。

一緒くたにしないできちんと分析して認識する

あけましておめでとうございます。

というあいさつに苦手さを感じております。あけたらおめでたいのかよ。

めでたいんです。開けたからといより、年末という39キロ地点を越えてゴールである越年を果たしたからめでたいんです。

 

それはそうと、今いる会社をとうとう辞める決心をしました。この機会に会社辞めたいときに大切だと思うことをメモっておきます。

ツイッター界隈だと主語が大きいポストはゴミポストという経験則が存在します。

で、会社辞める時に「こんな会社」辞めると思ったらちょっと立ち止まってみてほしいのです。あなたは会社が嫌だからやめたいのか、同僚が嫌だからやめたいのか、毎日の作業が嫌だからやめたいのか、上司がくそだからやめたいのか、所属する部署がくそだからやめたいのか。

 

よく分析するのです。「会社」に実体はありません。所詮は個人の集合体です。クソなのは個人です。一人、あるいは複数の個人がクソなのであって、「会社」がクソというのは短絡的であると認識しましょう。必ず同志はいます。同志が一人もいないなら会社の中でクソなのは会社ではなくあなたです。マッチングに失敗しています。目覚めましょう。

 

では、上司がくそだけど会社は悪くなくて、同僚との関係もいいなら会社を辞めない選択肢を考慮してはどうでしょう。部署を移ったりとかね。

 

日本人は、と一緒くたにするなと言いつつここで一緒くたにしてしまうのですけども、「総合的に」とまとめたがりがちな気がします。冷静に切り分ける、そういう考え方はどうでしょう。

給料と福利厚生がいい会社を簡単にやめるのはもったいないのです。

疑うということ

沢尻エリカ逮捕は政治問題についてのチャフと信じているような人がいる。

いる。

確かにいる。

そういう話を聞いて「まじかよ」と感じる。

私が政府の陰謀説を信じているかどうかは別にして、奇妙に感じることがある。

政権が耳目を逸らすために撒いたスキャンダルであるとか、マスコミが安倍政権憎しで凝り固まっているのであれば、放っておけば良い。それならなぜマスコミは食いつくのか。なぜ花より団子よりもクスリみたいな勢いで女優の話ばかりになったのか。

なぜNHKも民放もわーっと飛びついたのか。

政権とグルなのか。それとも「国民の興味」に対して忠実なんだろうか。

後者なのだろうか。つまり、政権にも、放送業界にも、有権者はアホと思われているし、実際有権者はアホだ。そう思われているのではないだろうか。

 

安倍政権許すまじというのはご自由になさればよいが、消臭の片棒をかつぐような真似をするマスコミについてはどう思っているのだろう。

 

そういやあ創価学会員が集団で引っ越して公明党の票数を稼いでいるなんて話が10年も前に流されていたのを思い出した。

参院選と違って時期が不定期なので難易度はあるが、反安倍の人たちは山口県に引っ越してはどうか。なにも投票できるようになるまでに急に衆院解散などということはあるまい。被選挙権者であれば居住実態でバレもしようが、住民票移動した人の居住実態がどれだけバレるだろう。やって見る価値はあるのではないか。首相が落選するとなれば反与党側の人間にしたら痛快の一言に尽きるだろう。

なぜやらないのだろうか。

私はやらないけど。そこまで人を憎いと思ったことがないから。

たった一つの重要なこと

ビジネス書とか自己啓発書とかそういうたぐいの本で「いくつの〇〇なこと」系の本は溢れている。同様にたった「一つの重要なこと」も多分ググればたくさん出てくるだろう。

なんのために、というのはとりあえず脇に除けておこう。たった一つの重要なこと、それは、「立場が入れ替わったら自分はどうなのか」を考えようということだ。

論語の言葉であるけど、「己の欲せざるところ人に施すなかれ」が近い。でも、そこまでストイックではない。「やめよう」というネガティブでもなければ「これをしよう」というポジティブでもない。ただ、立場が入れ替わったら自分はどうか、という考えがあれば、これさえ押さえておけば大概のことはなんとかなる。

ないとどうなるか。血祭りにしていなくとも血祭りにされ、焚かずとも焚かれる時代である。嫌がらせをするならば嫌がらせをされるのであり、血祭りにする者は少なくとも血祭りにされるのであり、焚くのならば少なくとも焚かれることになる。

よく言えば情けをかけることである。悪く言えば恩を売るのである。

ただし、恩を売っても買われるとは限らず、返済が仇でなされることもある。だから恩を売ると同時に、担保も取るのである。「この人には喧嘩を売れない」と思わせるのである。自分が相手の立場なら、どういうことをされたら喧嘩を売っても勝ち目がなく、ただボロ布になるだけであると心底思わされるかを考えるのである。

上下関係、権力関係を背景にすると立場が変わればやり返されるのでいけない。相手に畏怖を持たせるにはそれら以外の要素で畏怖されるのでないといけない。

「立場が入れ替わったら自分はどうなのか」を考える。安全なところから石投げ放題になった現代で、心の隅に置いておきたい価値観だと私は信ずる。

調査結果を読み解くトレーニング

 

私は週刊東洋経済週刊ダイヤモンドの読者である。もう10年は読み続けていると思う。最近ようやく定期購読を始めた。月曜に休んだ週、買いに行くのが億劫だったり、書いそびれたりすることがなくなった。そして安価である。なぜもっと早くに定期購読にしなかったのか。

心理学の言うところによれば、人間長期的利益より短期的利益に目が言ってしまうそうだ。要は、私はどう見てもわかるような節約ですら苦手である。書いていて自分の心が痛む。奥さんはいくらへそくりこさえてもいいから経済的に強いひとを希望している。

 

ともあれ、今回は都道府県魅力度ランキングの話である。今年はひどい目にあっている茨城県の知事が憤慨したことで話題になった。今回は茨城県知事に諫言する、つっても目に触れることはないだろうけども、と同時に、茨城県民は知らぬとへらへらしていれば良いと、それを申し上げたく鍵盤を叩いている。なお、住所こそ東京都にあるものの私は生まれも育ちも茨城であり、心は茨城県人であるということを述べておきたい。

その上で「電気、上下水道、ガス、通信を「なんて素敵なの」っていうようなやつはいないし。茨城県民は内気で自慢は好まず慎み深い。色をなして不快感を表明するのは無粋であると知事には申し上げたい。茨城県人らしい反応だけど。

 

ともあれ、例のランキングはこの2つだ。

diamond.jp

diamond.jp

 

調査主体はブランド総合研究所

www.tiiki.jp

 

魅力度(地域ブランド指数とでも言えばいいのだろうか)の採点については次のようなパラメーターを使用しているとのことである。

◆調査項目◆
本調査は、1000市区町村および47都道府県を対象に全国の回答者からの評価を明らかにしたもの。
構成と調査項目は以下の通り。

①外から視点の評価 【計84項目、1000市区町村および47都道府県】
認知度
魅力度
情報接触
情報接触経路(ドラマや映画、ポスターやチラシなど)【14項目】
地域コンテンツの認知(「ご当地キャラクター」など【16項目】
地域イメージ(歴史・文化の地域、スポーツの地域など)【14項目】
地域資源評価(海・山・川・湖などの自然が豊かなど)【16項目】
居住意欲度
訪問目的(「行楽・観光のため」など)【16項目】
観光意欲度
産品購入意欲度
食品想起率
食品以外想起率

②内から視点の評価【計26項目、47都道府県のみ】
愛着度
自慢度
自慢要因(「地元産の食材が豊富なこと」など)【24項目】



調査概要(地域ブランド調査2019)
https://news.tiiki.jp/articles/4385

 

一方、観光魅力度については執筆時点で株式会社ブランド総合研究所サイト内にパラメーターを見つけることができなかった。
DOLでは下記の通り記載がある。たぶん上記調査のうち「観光意欲度」について抜き出した採点とランキングと見られる。僕がよっぽどのぼんくらでなければそう理解して間違いないだろう。

このランキングは、47都道府県と国内1000の市区町村を対象にした、認知度や魅力度、イメージなど全84項目からなる「地域ブランド調査2019」によるもので、今年で実施は14回目。「今後、各自治体に観光や旅行に行きたいと思いますか?」という問いに対して、「ぜひ行ってみたい」を100点、「機会があれば行ってみたい」を50点、「どちらもいえない」「あまり行きたいとは思わない」を0点として、加重平均した数値を算出した(有効回答数:全国3万1369人)

で、数値を抜き出したものがこちら。

  北海道 京都 東京 沖縄 神奈川 大阪 奈良 福岡 石川 長野 長崎 兵庫 静岡 宮城 広島 愛知 熊本 千葉 鹿児島 青森 秋田 大分 山梨 富山 福島 三重 山形 宮崎 新潟 岩手 愛媛 島根 香川 和歌山 高知 岐阜 山口 福井 岡山 滋賀 鳥取 埼玉 栃木 徳島 群馬 佐賀 茨城
魅力度 61.0 50.2 43.8 40.4 34.5 32.9 30.0 29.6 25.4 24.8 24.6 23.3 23.0 22.8 22.0 21.0 20.5 20.1 19.9 19.4 18.5 17.6 16.8 16.6 16.3 16.3 15.9 15.8 15.7 15.5 15.5 15.0 14.9 14.8 14.7 13.9 13.4 13.4 13.1 13.1 12.8 12.8 12.5 12.1 11.5 11.2 9.4
観光魅力度 61.8 52.6 47.4 51.0 39.7 42.9 43.2 43.2 42.0 38.1 40.9 39.2 36.3 36.4 38.1 31.3 37.8 34.5 37.1 32.5 31.2 33.6 31.1 34.5 27.3 33.2 30.6 33.2 31.4 30.5 31.5 30.5 33.6 30.8 31.5 30.6 29.1 29.6 28.6 28.5 31.8 22.8 26.5 28.3 26.5 25.9 20.4

 

意味もなくグラフ化したものがこちらである。視覚的にわかりやすくなったかもしれないがほぼ意味がなかった。なお、順序は左から魅力度が高い順番となっている。

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都道府県魅力度

 

2つについて、といってももともと同一の調査なのだからわざわざ比較することに意義があるのかという疑問が私の腹の底からふつふつと湧いてきたのだが、以下が概ね事実である。

下位5県は同じ顔ぶれ。福島を除外してよいのであれば下位12県は同じ顔ぶれである。
上位4都道府県は同じ顔ぶれ。入れ替わりがあるので間延びしているが、上位12都道府県は同じ顔ぶれ。
福島、山梨、秋田、愛知、香川が観光では目立って(5を超えて)観光魅力度では順位を下げた。
観光魅力度では高知、鳥取が躍進した。

 

続いて考察である。

まず、高知、鳥取については「行ってみたいけど行ったことがない」から「行ってみたい」にカウントされているのではないか。

チェーンのビジネスホテル、もう具体的に言っちゃうとルートインとかなんだけど、ビュッフェ形式の朝食を観察してみよう。みんなほとんど全部一通りおかずを皿に盛るはずだ。カリカリ梅と漬物とか、ジャンル的にも機能的にもかぶるやつは択一だとしても、ウインナー、シュウマイ、スクランブルドエッグ、魚の焼いたの、煮魚、、、おかずは全種類盛る。そして順序どおりに盛ってすべて盛って席につこうとする。省略を避けるし、取らなかったものはお代わりしようとかそういうのはない。白米を装う場所では渋滞が発生するが白米をキャンセルしたりもしない、待って盛る。

多分日本人は旅行・観光について、ホテルのバイキング朝食と同じようにあれもこれも盛るのだ。すると高知と鳥取は行ったこともないだろうし、いの一番の選択肢にならない。しかしそれぞれ坂本龍馬砂丘という知名度の非常に高い「〇〇といえば××」がある。まず行かない、でも行ってみたいところはある、それが高知と鳥取なのだ。もし得られるのならば来県者数のデータを見てみたい。少ないはずだ。

なお私は高知も鳥取も行った。北陸自動車道米山SA下り(東行き)のサバサンドを食べるためだけにSAに行き、食べて帰って来るだけというお出かけもしたことがある。私はそういう、旅の志向と経験という点では一般的日本人からは外れているつもりである。

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観光魅力度順のグラフ

観光魅力度順に並べ直したグラフがこれだ。赤い線と青い線の長さが近いと観光面以外の得点が高いということであり、目立つのはまず神奈川である。東京、大阪、愛知も同様の傾向が見られ、大都市圏なので当然といえば当然である。下位グループでは福島が目立つ。福島の総合的な魅力度の高さは理由に愛着の強さが挙げられるだろうが、果たしてそれだけなわけはないとみるべきだろう。

逆に周りと比べて青い線が短いと観光地としては魅力的だが。。。ということであろう。

 

 

しかしながら不思議なのは富岡製糸場や豊富な温泉がある群馬、日光がある栃木、いずれも世界遺産という観光資源を抱えながら底辺にいるのである。有名な温泉もなく、世界遺産もなく、スキー場もない我が茨城はさておくとしても頭をかしげるしかない。

 

 

「今後、各自治体に観光や旅行に行きたいと思いますか?」と尋ねられて、もちろん再訪したいというところはたくさんあるだろうが、ビュッフェであれもこれも一通り盛りたい民族であるところの日本人が、ちょっと行ってみたところ、または何回か行ったところに対して「ぜひ行ってみたい」「機会があれば行ってみたい」という選択肢を選ぶだろうか。時間と金銭の制約を思い、「どちらもいえない」「あまり行きたいとは思わない」を選びたくなるのではなかろうか。

 

採点方法にもトリックがあると見ている。

調査方法:インターネット調査
回答者:20代~70代の消費者を男女別、各年代別、地域別にほぼ同数ずつ回収します。
※日本の縮図になるように、年齢や地域人口の分布にあわせて再集計します。
有効回収数:約3万人(地域ごとの回答者数は平均で約560人)

東京都民は1200万、日本の総人口の10%いる。東京都市圏は3500万、総人口の1/3がいる。まずこの時点で回答が現在の人口の偏在に沿った偏り方になることに留意すべきである。3500万のうちほとんどは茨城をはじめ北関3県には行ったことがあるはずであり、かつ、もういいやと思われているのではないだろうか。観光資源の密度も低めで東京都市圏からは微妙な距離である。日帰りにはやや遠く移動時間が長くなり、スポットも詰め込めない。観光資源の密度は低めで泊まって見るには「まわりきらない」というほどではなく物足りない。

観光の魅力という点で北関3県ははじめからハンディをつけられているのであり、実利に邁進すればいいと思う。「行ってみたい」と言いつつ来もしない人より、別に大好きというわけではないけど何故か来ちゃう来県者の方が県経済にはありがたいわけで、そういう人にどお金を落としてもらうというところにだけ注力する、あざとさとでもいうようなたくましさが望ましいのではなかろうか。来県者と来県者の消費額というランキングがあれば、茨城は結構いいところ行ってると思うのだ。

MOVE

今年の4月に引っ越した。物事に理由は必要あったりなかったりするが、おおよそ人間のすることには何らかの理由となる事実がある。

 

筆頭の理由は、同じマンションに住んでいた女の子が引っ越して出ていったことだ。理由としては「はぁ? なんなのそれ?」というものではあるのだけど、面倒くさくお金もかかる「引っ越し」をしようと決断するには十分な理由だった。彼女とは数回一緒に出掛け、数回ご飯を食べた。山本彩似の本当に可愛い子だったので、私の対人スキルの貧弱さと、その貧弱さをさらに弱体化させた職場のボンクラどもに対しては、恨むのであれば恨み骨髄である。うつとは言われていないものの神経症の症状はあったし、その故に人付き合い、しかも一回りも年が離れてて美人の女の子と仲良くしているというのは不安が多すぎた。

失恋してもなんか復縁のチャンスが有るのではなかろうかと恋々とするのがろくでもない男の性で、彼女が引っ越していった。そしてもう会うこともないということを、出会ったこの場所でずっと引きずっているのは耐えるには少々辛かった。思い出はおもいで。置いていくことにした。

2つ目は広い空間に移りたかった。もともと持ち物が多く、生活空間には苦労していた。何しろ物が置いてあるか、通路であるか、寝床であるか、そのいずれかのスペースしか自室にはなかった。引っ越しの最中出てきた過去の契約書を見ると25平米の専有面積で、部屋は9畳あったものの、そのうち5畳ほどは天井までダンボールが積み重なっているという有様だった。

半分くらいというと控えめな気もするが、通路は当然空きスペースだし、バルコニーで物干しもしたし、自分の椅子の上には空きスペースは当然あるし、と考えるとほぼゴミ屋敷と言って差し支えなかった。ガラクタを二束三文でラクマヤフオクに出そうにも、その写真を撮るためのスペースに事欠いた。まあなんとかして写真を撮ったとしよう。梱包材につかうエアキャップのロールを置く場所がなかった。書きながら気づいたのであるが、そんなものはあとから調達すれば良くて置き場所なんてなくてもいいはずなのだが、貧すれば鈍す、である。それを理由にガラクタの処分もできずに困惑していた。空間がほしい。これが2つ目だった。

3つ目、「他に理由があったろうか」と思いだしたらあった。また虫だ。どこから持ち込んだのか、シバンムシカツオブシムシが出るようになった。シバンムシは多分ジンサンシバンムシだったし、カツオブシムシヒメカツオブシムシだった。ゴミ屋敷状態なのでどこが発生源なのかわからない。ただ、シバンムシは蓋が閉まりかけのハーブソルトを振り出したときにごま塩のように出てきたのでその時作っていた料理はそのままごみとなった。あとは蛾が出てくるようになった。記憶から同定してみたがたぶんイガだ。

とにかく掃除のしようもなかった。いや、まず開けてないダンボールを開き、何年もご挨拶をしてない物どもにガラクタの烙印を押して、マンション玄関を出て左に曲がったところにあるところ、ゴミ置き場というのだけれども、そこに連れて行くだけのことだったのだけど、よくよくうろ覚えのところを思い出してみればここに越してくるときもシロアリが出たのをトリガーになかば逃げるように引っ越してきたのだ。荷物はダンボールに適当に詰め込んでいた。しかしダンボールを解く広さがない。現在の狭さと汚さを我慢していれば良く、だから本当に捨てたいのならばダンボールごと持ち出して捨ててしまえばいいのだが、かといってそこまでしなければならないというほどの理由もなく、結局段ボールでできたマトリョーシカは10年間以上開かれることもなく積み上がったダンボールの塔の奥の奥にずっと礎石のように置かれっぱなしになった。ゴミの何処かわらいてくるのかわからない虫どもの居場所を特定するためには荷物を全部ひっくり返したかった。

要は嫌な現実から逃げ出したかった。僕はたまたまそれに必要なお金を持っていた。大変幸福だった。そして、一応脱出には成功した。日本には似たような状態になって、それでも金銭的理由から脱出できていない人がいるだろう。私はラッキーだった。

 

転職してしまうと一般的に入居の際の審査もきつめになると聞く。その故に先に引っ越しは済ませておいた。うむ、そのとおり、今の職場には別れを告げるつもりでいる。そのためにはまず足元を固めたかった。虫が出て、人を呼ぶスペースどころか自分が眠るスペースすら作るのに難儀していた。こつこつと、というのではなく、一気にズババババーンとやっちまって、引っ越した先の広いところでゴミを選り分けて、ガラクタは売りに出そう。コツコツやろうと思ってできた試しがない。今年は10連休もある。やるならいましかない。更新は来年だからといってそれまでのんびりしていたらこの先またずっとこのままだ。思い切りが必要だったが、「彼女」が背中を押してくれた。

 

女性と別れると成長するんだけども、別れないで成長できないものかねえと自分に対して思う。