たちばな し

休職と復職にかかる記録残しです。ビジネス論も少しあるよ。

メモランダム2

 まあ今の上司はそれなりにマネジメントの勉強を積んでこられた方で、それなりの業績は積まれた方のようである。伝聞推定調なのは単に私がそれを目にしていないからである。今の東京をみて70年前に瓦礫の荒れ野原だったと想像できないように。
 はじめは他部署の研修への参加を促されたときだった。2014年12月か翌年初めのはずである。着任が2014年12月だったからそれ以前ということはない。
 上司が変わった経緯であるが、シンプルに言えば「ご乱心遊ばした」からである。当時からしばらくはその理由について誤解していたと思っているのだが、今はご乱心の原因がわからなくもない。今立っている大地が流砂であることに急に気づいて発狂しないというのは困難である。

 私がいま所属している会社に入ったのは2010年4月末のことである。前職は2010年3月での派遣終了で、将来キャリア上面倒になるのを嫌って間を空けたくないというそれだけの希望を派遣担当者が汲んでくれたのである。大変忙しい部署で、22時に帰れると「早い」という感覚で、22時~23時退勤が日常だったように思い出される。しかしながら人間関係を気にすることがなくひたすらこなすだけの業務であり、「面倒なこと」に悩まされることは思い出すことがない。記憶の底に埋もれているだけかもしれないが、思い出しづらいということは私の脳にとってどうでもいいということなのだろう。

 改組でメンバーはそのままで部署の位置づけは2度か3度変わった。そして日本支社直轄の組織ではなくアジア太平洋支社(以下AP)の組織となった。派遣だと相見積が煩雑などの理由だったからだとは思うが、派遣から業務委託(請負)へ所属会社の変更もあった。派遣であれば1人ごとに相見積をすべきところ、業務委託であれば契約は1個であり業務処理が契約内容であるから人員の入れ替えは請負側の自由であり、事前の面接等も必要ない(実際は法律上の規定が無視されているのは方に詳しい皆様方の知るところであるが)。

 着任当時の上司が詰め腹を切らされて(?)退職し(部下が他部署の営業と喧嘩して小火があったようである。聞きかじりと推測の域を出ることはない。)、別の人が兼任で上司となり、APの組織となって上司が変わった。「六ケ所村」担当などでそれなりに業績はあった人のようである。私立の男子校から早稲田に行くという育ちの良さはあったようである。私のような「廊下を自転車が走るのが日常」という中学校とは、きっと無縁であっただろう。これが糾える禍福の端っこだとはいまの本人も気づくまい。

 その直属の上司のすぐ上はAPの管理職である。この人が自分の組織拡大に余念のない人で頭数を増やすことに注力していた。部署の業務を拡大し、人員の増強することとなり、それにあたって私の上司は古株の1人を業務委託の管理担当管理職(以下SV)とした。これが誤りの始まりで、業務の101(外国の大学では「入門講座」を101と呼ぶのになぞらえている)を教えてあとは「教えた」と放置するボンクラであった。もう一人リーダー格がいたがこれもボンクラで我関せずが座右の銘というような輩であった。後に他の人から伝え聞いた評判では「ホント人の話を聞いてない」とのことだった。もっと早くに聞いておけばよかったと思うのだが後の祭りとはこのことである。

 教育を担当すべきSVはボンクラなので101以上の教育などしない。自分の成績を積み重ねるのにご執心であった (プレイングマネージャー制度が良くないとされるのはここらへんも理由だ)。だから委託さんが業務を覚えるのは困難である。不運にもセールスフォース(以下SFDC)による業務管理も不完全な測定のまま導入され、KPIが設定された。KPI自体は最終目標として妥当さを欠くものではなかったが測定方法が確立されておらず無茶苦茶な結果ばかり弾き出す代物であった。APの管理職はSFDC上のレポートで判断するしかないから部下(つまり私の上司である)に「これはどういうことか」と、更に上の管理職から突っつかれたのかもしれないが、突っつくわけである。西洋では問答というのは当然の文化であり、弁明も当然の文化であるが日本にはそれがない。ましてや育ちの良いお坊ちゃまには度重なる質問はもはや詰問でしかなかったのかもしれない。部下(当然私は入ってないよ。入れるべきだとは思うけど)のボンクラさと相まって、発狂へのカウントダウンはもう2くらいまでは読み終えられていたところであるだろう。
 ここでSFDCによる業務管理が不完全なまま導入されたことへの弁護をするが、アメリカでは「まず始めろ」ということになる。人間が生まれてから死ぬまで完璧にならないように、どんな軍隊も実践を積まなければ覚えられないことがあるように、リリース前に完成させられるものなどこの世には存在しない。別にWindowsに限ったことではない。高等な原子物理を学んだ方ならご存知かも知れないが、最も安定した原子、つまり水素からプルトニウムまですべての原子の中で最も安定した形は鉄なのだそうだ。しかし神は宇宙中を鉄で満たすことはしなかった。神ですら宇宙を究極でない状態のままに6日目を終え、7日目をお迎えになったのである。究極の完璧は追わなくて良い。旧約聖書土台のものの見方であるが。
 ちなみに私は神道の神話を愛し、仏教を基本としてユダヤイスラム、キリストという「The God」と信奉する宗教を一元的に理解したい人間である。(敬虔な信徒からすれば異端中の異端と思われるのかなあ。)
 そういうわけで、作り上げて、運用してみて、おかしい点があれば直して良くしていく。これがグローバルスタンダードな考えである。100点のテストで80点を目標に掲げる。80点を目標に掲げたら80点を達成しさえすれば「Perfect!」というのがグローバルスタンダードなのである。90点ならGreat! 100点ならECXELLENT!なのである。ここで「グローバルスタンダード」といってるのはあくまでアメリカのことである。

 長くなってきたのでここで分ける。