たちばな し

休職と復職にかかる記録残しです。ビジネス論も少しあるよ。

東西冷戦集結とバブル崩壊とその後の30年とは無関係に、ブーメランの話。

沙汰なしにしております。橘です。

頭がすぐオーバーヒートする感覚があるのですが、オーバーヒートしないところでアクセルから足を離すというということがまだできておりません。オーバーヒートするとしばらくは頭が使い物になんないんだよな。

さて、引き続き上司とは全く反りがあっておりません。前にこの話したかな。してないかもしれません。まあ傷口に粗塩塗り込んだ相手の過去は問わないとしても今後有効に付き合うというのは難関ですので、これは仕方ありません。辛抱してやり過ごすのが最善でしょう。

着任時全面的に「友軍が来た」と思い込んだところ全く味方になってくれなかったことに原因の一端ががあり、こちらが一方的に味方だと勘違いしたことに一端があるのですが、それでもなおこのときの関係性が尾を引いてこの上長とは感情面では仲良くお付き合いするということは金輪際無理だなあと諦めておるところでございます。

私の属する部署は社のビジネスフロー上、部署の業務であるとないとが一緒くたになっていろいろな頼まれごととしてやってきます。いまでこそ割と切り分けが進んで完全業務外の頼まれごとというのはほぼないのですが、それでも部署間での業務の押し付け合いというのはあるようです。「みんなOOOに業務をしてもらうべきだと言ってますよ」みたいな感じで押し付けられるのだそうです。

「みんなとはどなたですか」と上長は切り返してたところ相手は口を濁したそうです。つまり結局その頼み事をしてきた本人だけの主張であったとのことで、当部署の業務外とするといろいろと頭を抱えることになるのが目に見えていたこともあり丁重にお断りしたとのことだったのですが、「みんな」というのは要注意であるというのはしっかり学習したところであります。

復職して、知らない人が増えておりました。半年休んだからその間に人員も増えたので歓迎会をするというとのことでしたが、断りを入れました。まあ嫌なヤツと一緒に飯食いたくねえ。食わねえでそこにいるだけでもゴメンだし、そもそも食わねえなら出席する理由がねえというそれが究極の理由だったのですけど。

「あなたが歓迎してないと思われるから来て」「みんな心配するから来て」そう上長は言いましたが「じゃあそのみんなに事情を説明して許しを請いますから、みんなって誰ですか」と固辞しました。結局「みんな」に気をつけろと言った上長が「みんな」論法で説得にかかってきたのは非常に失望しました。

悪いけどこっちはあんたらのせいで病院通いするはめになってんの。評判なんかより自分の健康のほうが大事だわ。誰も助けてはくれないんだし。「体が資本」って本当に金科玉条ですから。心身の身の方も大事ですけど心も資本ですからね、心身は恥も外聞もなく守って良いものです。守りましょう。

復職して1年経ちましたが部署の食事会は1回だけですね、出たの。あとはすべて断りました。貰い物は捨てたこともあります。自分が大事だからね。

食事会に参加するというこの進歩(回復)は同僚との会話をきっかけに得られたものです。「つまんねえ連中と飯食ってもまずいだけだからまずい飯食うなら水飲んでたほうがマシ」と主張したところ「タダ飯を食いに行ってるだけ。他人は関係ない。」と悟りを開いたような回答があり、「あ、無視できるならすりゃいいんだ」という知見を得たので実験したかったのです。一応うまくいきました。

っていっても、せいぜい3000円もしない食事なので、行きたくなければいきません。そのくらいならおつとめ品のお惣菜買って帰ってうちで食ってたほうが有意義な時間が過ごせるもの。

AIはどこまでやれるだろうか

ご無沙汰しております。相変わらず職場には行けておりますが、先日起床時から疲れており疲れが取れない旨精神科で述べたところ、薬が増えました。

囲碁も将棋も明らかにAIのほうが人間より強いという状況になりました。すごいことではありますが、まだAI万能というには早すぎるかなと思っていろいろと思索にふけっています。

10年くらい前、高速道路が1000円で乗り放題に成りました。そのとき、東名高速道路は込んだけど中央道は全然込まなかったとか、東北道常磐道が同じくらい込んだとか、そういう話を本で読みました。

人工知能に渋滞対策をさせたらそれは有効に働くだろうか。

運転してる方としては(仮に)5秒毎に更新される現況に応じて5秒毎にリルートなんてされてはかないませんから、ほぼリアルタイムでルート更新がされるようなプログラムであればたぶん「いいよもうこっちで」という状況が生まれるものと思っております。つまりAIの計算結果に人間が従わない。

すると、AIはどのくらいの割合の人間がそれにしたがってルートを変えるか、あるいは変えないかという確率論を取り込んでルートのサジェスチョンをするのではないか。そう考えます。そうすると、同じAIでも違うルートを案内するという、「え、それAIなの?」という状況が生まれうるのではないかと想像しています。

ところで、AIに麻雀をさせたらAIは強いんだろうかということを、この二つの事柄から考えてみたのです。自分の手牌というすでに明らかな事柄、河にある捨牌というすでに明らかな事柄、ここまではAIにも利用しやすい情報でしょう。では、相手の手牌や捨て牌の引掛けという確率的事象についてAIは対応しきれるのだろうかと。AIの思考様式というのが読まれればナチュラルAIたる人間だって対処するでしょう。役牌のみ1300点で和了りまくるような流れができたらAIもそれに対応しなければなりません。しかも相手は3人いるから振り込まないように気をつけないといけない。

果たしてAIはこういう状況に耐えられるのだろうかと。すごく興味のあるところであります。

Green turf

しばらくぶりでございます。

高校のとき、とある英語教師に出会った。元ロックバンドのボーカリストだそうで、それは友人から聞いた。当時はロックは聞いてなかったから「そうなんだ」程度にしか思っていなかった。テレビの音楽番組にも出ていて、イギリスのミュージシャンユニオンに加盟していたと知ったのは高校も出てしばらく経ってからだ。CDは高校を出てから集めた。

高校生といえば中学生に毛が生えた程度の思考力であった。音楽のトップシーンに籍を置きながらどうして田舎のしがない公立高校の教師などになったのか、直球で尋ねたことがある。

「なりたかったから」

彼は「肉じゃがの肉って言ったら牛だろ」とでもいうような感じで(といっても彼は東京育ちだ)言った。ロックスターといえば高校生から見れば「上がり」のポジションだ。「そうなんだ」と飲み込みはしたもののずっとずっと腑に落ちてなかった。誰もがなりたくたってなれないそんなポジションをするっと捨てて「やりたいこと」を取るなんて意味がわからないと。

それはひとえに私が無意識にステロタイプ思考にはまっていたせいなんだろう。今でも自分の勝手な前提で自縄自縛になっていると思うことがある。

でもようやくわかってきた。人生というものは無味無臭無色無価値で無意味だ。

だからこそ、自分で選ぶのだ。自分で味を整え、香りをつけ、描き、値付けをし、意味付けをする。それでもなお、いろいろな人が生きている間にする仕事とは大きく異なり、人生というそうやって「つくりあげたもの」は本人の死と同時に本人にとって終りを迎え、消滅する。(だろうし、実はそうではないのかも知れない)

録音されたものや録画されたものというかたちで彼の人生の断片は客観的には確かに消滅せずに残ったように「見える」かもしれない。「再生」できるかもしれない。しかしそれは出がらしですらない。本人の感覚や喜怒哀楽の出花をそのまま味わえる人は本人しかいない。隣の芝は常に青い。隣のテーブルの料理のほうが常に多く見えるしうまそうに見える。

他人の金でつまんねえ会席者と食う高級料理よりも、好きな人とあるいはソロ主義ならソロでどて焼きとチューハイ。彼にとって美味いのは後者だと彼は知っていたからそうした。それが「なりたかったから」なんだろう。

私はなりたいものをまだ見つけていないしだからそれに向かって踏み出してもいない。とある評価軸からすれば不幸な人生を送っているように見えるはずだ。実際のところ今この瞬間に終わってしまってもまあ良いやと思ってるくらいだからそうなのかもしれないし、実は今が常に幸せだからそうなのかもしれない。正直なところ全くわからない。

彼が作詞に関わった「I'm gonna sing the blues」を聴き、いろいろなうわさ話を聞き、どこかで「ロック嫌(きら)いなんだ」というのを聞いたりしながら、「やりたいことができるという幸福」というものの価値について考えている。

https://youtu.be/cGYvhlChobs

不意と決意

 月に2,3回通うやきとり屋さんがあるのだが、今年は3日も4日も行かなかった。豆まきもしないしイワシも柊に刺さなかったし恵方巻きも食べなかったし、そのやきとり屋さんにも行かなかった。

 今日行くと「何してたの」と言われて何もしてなかったのを思い出した。何もしなかったのは、今年は鬼になるので鬼追い出すよりもむしろ取り込みたかったことと、ならば取り込んだあらゆる災厄撒き散らしてやろうという考えからだった。

 今年はいい人じゃあありませんよ。

歓迎会

前の会社では歓迎会や飲み会類は1回限り行ってそれ以来行かなくなった。理由は「果たして私に歓迎する資格があるのか」という命題に対して「ない」という結論に達したからだった。それは数人からの扱われ方とそれによる自分の立たされた位置への自覚によった。要は部署への所属感(camaraderie)が一切なくなったからだ。

 それは外様という感覚よりもさらに強かった。不可触の立場というのに近かった。ひょっとしたら「俺はカネのために業務をしている。業務をしに来ている。業務の話をしろ。業務の話一切しもしないのに雑談にだけ割って入ってくるな」というこちらの無言のお仕着せのせいかもしれない。とはいえ、会話に割って入ってきてこちらの話の腰を真っ二つに折るWの態度にはいい加減うんざりしていた。かと言って抗議をする気にもならなかった。

 そんなことに目くじらを立てるのはケツの穴の小さいやつだというレッテルを貼られたくないという自己満足のためであるが、そんな自己満足は不満の穴埋めにもならなかった。感情の負債は膨らむ一方で「大人としての振る舞い」を自分に強いることで精神という名前の関節はガッチリと極まってしまっていてあとは壊れるだけとなっていた。

 怒りや妬みなどはこれは人間だからそういう感情をもつのは仕方のないことだと割り切るのが遅かった。問題はその表への出し方であって、持つことそのものを自罰的に扱ってはいけなかった。私は怒りがあったほうが仕事を意欲的にこなしていくタイプであることを自認していた。怒りは核エネルギーのようなものでほぼ無尽蔵に得られた。ただし扱いは難しい。爆発的にならないように小出しに小出しに扱うものであった。

 しかしながら怒りの原因が3を超えてくると制御が難しい。細く細く絞った蛇口からチョロチョロとマグマを垂れ流している状態で、過去の嫌なことなどを思い出して突発的に怒りの圧力が高まるとドバっと出てしまう。これで失敗したことがある。怒りの圧力が高まると理性で抑えてた部分から怒りが漏れる。他人の逆鱗に触れるような単語選びや使い方をしてしまう。

 居酒屋などでは皆酒を飲む。酒を飲むと無意識に声が大きくなる。そしてADHDのように聴きたい声だけを聴き取るということが困難になる。若干イライラする。酒が入るとそれだけで理性のタガが緩む。その上相手の言うことが聞こえないイライラである。うっかり何をいうかわからない。

 だから私は飲み会のたぐいは極力どころか5人以上であれば行かない。3,4人であっても気の知れた仲間でなかったら行かない。相手次第でしんどい思いをするからだ。気を使いながら味のわからないどころか不味い酒を飲む必要はないと思っている。たとえおごりであろうとも。精神力と時間の浪費だからだ。

 正直3万の食事に2万の足代が出ても嫌な相手連中とならお断りである。一方酒があろうがなかろうが楽しい相手なら3万出して2万の足代を出してもかまわない。

 実際はそんなにお金を出すわけにもいかないからおごることも滅多にないが、行くのはいつも日常の利害関係のない飲み友達がいる行きつけの店だけに決めている。気心も知れているし不満というのもない相手とだからついうっかりがない。私が安心して通うのは2店しかないが、どちらの店の主人も「嫌な客は帰ってくれんか」という態度を崩さない店である。

 ところで、日本酒5合も飲まないうちにで暴言を吐いて記憶がなくなるまで酔っ払ったことがある。一方で熱燗1升ほど飲んで普通に歩いて帰ったこともある。酒はストレスを抱えたまま飲むものではないと思う。

 そういうわけで、私は職場の飲み会には行くつもりがない。もし次行くことがあるのだとすれば、、、仮定の話は無駄である。きっと次はない。

今日の話

今日、東京は大雪の予報でした。同じ部署でちょっと遠くから通ってる女性が帰宅困難を予想して在宅勤務を朝のうちに申し出ていました。上長は断ったそうです。

一応リモートワークとか、そういうの推進しようってスローガンのある部署なのにこれですよ。正直「まあ、そんな程度のタマだよね」って実感しました。遅いよ。今日が月曜日なのを加味しても、昼の時点で人事に掛け合って手は打てただろうに。

Pre-times2

 すんなりと新しい派遣先が決まり、1ヶ月ほどだったろうか、OJTと言う名の実戦投入。前職とは関連業界で類似商材の知識があったので商材の知識自体は割と早くついたと思う。しかしこの時のメンター(面倒見係)が1つ下なのだがちょっとアレで、質問をしても「今忙しいから」で放っておかれることが度々あった。あったが、共同管理のメールボックスを掘りまくって過去の類似事例を見つけてはなんとかしていた。まあきいても放置だし、自学自習の癖があったので教えてもらうより自分で学んだことばかりだったように思いだされる。

 実に多忙な部署で、21時台に帰れると「早い」という部署だった。それでも業務自体はすぐに結構慣れたし、何しろ数をさばくことに集中できたのでストレス感はあまり記憶にない。はじめから3年が岐路とぼんやり考えていたこともあって、手取り40万を超える月もある業務にそこそこ満足していた。