たちばな し

休職と復職にかかる記録残しです。ビジネス論も少しあるよ。

歓迎会

前の会社では歓迎会や飲み会類は1回限り行ってそれ以来行かなくなった。理由は「果たして私に歓迎する資格があるのか」という命題に対して「ない」という結論に達したからだった。それは数人からの扱われ方とそれによる自分の立たされた位置への自覚によった。要は部署への所属感(camaraderie)が一切なくなったからだ。

 それは外様という感覚よりもさらに強かった。不可触の立場というのに近かった。ひょっとしたら「俺はカネのために業務をしている。業務をしに来ている。業務の話をしろ。業務の話一切しもしないのに雑談にだけ割って入ってくるな」というこちらの無言のお仕着せのせいかもしれない。とはいえ、会話に割って入ってきてこちらの話の腰を真っ二つに折るWの態度にはいい加減うんざりしていた。かと言って抗議をする気にもならなかった。

 そんなことに目くじらを立てるのはケツの穴の小さいやつだというレッテルを貼られたくないという自己満足のためであるが、そんな自己満足は不満の穴埋めにもならなかった。感情の負債は膨らむ一方で「大人としての振る舞い」を自分に強いることで精神という名前の関節はガッチリと極まってしまっていてあとは壊れるだけとなっていた。

 怒りや妬みなどはこれは人間だからそういう感情をもつのは仕方のないことだと割り切るのが遅かった。問題はその表への出し方であって、持つことそのものを自罰的に扱ってはいけなかった。私は怒りがあったほうが仕事を意欲的にこなしていくタイプであることを自認していた。怒りは核エネルギーのようなものでほぼ無尽蔵に得られた。ただし扱いは難しい。爆発的にならないように小出しに小出しに扱うものであった。

 しかしながら怒りの原因が3を超えてくると制御が難しい。細く細く絞った蛇口からチョロチョロとマグマを垂れ流している状態で、過去の嫌なことなどを思い出して突発的に怒りの圧力が高まるとドバっと出てしまう。これで失敗したことがある。怒りの圧力が高まると理性で抑えてた部分から怒りが漏れる。他人の逆鱗に触れるような単語選びや使い方をしてしまう。

 居酒屋などでは皆酒を飲む。酒を飲むと無意識に声が大きくなる。そしてADHDのように聴きたい声だけを聴き取るということが困難になる。若干イライラする。酒が入るとそれだけで理性のタガが緩む。その上相手の言うことが聞こえないイライラである。うっかり何をいうかわからない。

 だから私は飲み会のたぐいは極力どころか5人以上であれば行かない。3,4人であっても気の知れた仲間でなかったら行かない。相手次第でしんどい思いをするからだ。気を使いながら味のわからないどころか不味い酒を飲む必要はないと思っている。たとえおごりであろうとも。精神力と時間の浪費だからだ。

 正直3万の食事に2万の足代が出ても嫌な相手連中とならお断りである。一方酒があろうがなかろうが楽しい相手なら3万出して2万の足代を出してもかまわない。

 実際はそんなにお金を出すわけにもいかないからおごることも滅多にないが、行くのはいつも日常の利害関係のない飲み友達がいる行きつけの店だけに決めている。気心も知れているし不満というのもない相手とだからついうっかりがない。私が安心して通うのは2店しかないが、どちらの店の主人も「嫌な客は帰ってくれんか」という態度を崩さない店である。

 ところで、日本酒5合も飲まないうちにで暴言を吐いて記憶がなくなるまで酔っ払ったことがある。一方で熱燗1升ほど飲んで普通に歩いて帰ったこともある。酒はストレスを抱えたまま飲むものではないと思う。

 そういうわけで、私は職場の飲み会には行くつもりがない。もし次行くことがあるのだとすれば、、、仮定の話は無駄である。きっと次はない。