たちばな し

休職と復職にかかる記録残しです。ビジネス論も少しあるよ。

メモランダム6

 えっと、しおパンの話は措いておきましょうね。そういえばもとFテレビのアナウンサーで沼津あたりの宿泊施設の駐車場で人の上を走行してしまったなんとかパンって愛称で呼ばれてた人、今何してるんでしょうかね。

 さて、事態が動いたのはAがPerformance Improvement Plan(通称PIP。磁気があってツボに貼るあれです(違う))にかけてやると上司に言われたからでした。「我関せず」の人間にようやく飛び火したわけです。ご存じの方はご存知と思いますがPIPにかける宣言というのは事実上のクビ予告です。Aは猛烈に反発して上司とは決別を宣言、2段上の上司(この人は日本勤務の日本人役員です)を巻き込んで結果この上司はいなくなります。俺をして「キャバ嬢」と呼ばせた旭川出身の女とともに。

 ここで泡食ったのが私です。私もこんなチームにゃいらんねえと思ってたからです。勉強の時間も取れず取得してなかった資格は1ヶ月かそのくらいでさっさと取って(ねえよりゃマシだと思ってた)転職しようと瞬発的にとっていました。本当に退職届を出そうという5日ほど前でしかありませんでした。このクーデターがなければ私は辞めてました。普通なら「良かったじゃん」という話かもしれませんが人生万事塞翁が馬、下腹部は屹立…じゃねえや、禍福は糾える縄の如しです。良いとも悪いとも、(この時点でも、執筆している今時点でも)評価は下せていません。なにしろ「人間窮地にあっても1ヶ月あれば1年間何もできなかったことができてしまう」という教訓を私に残したのですが、そこから先、現在に至るまでの評価もまだ下せないからです。今鬼籍にでも入ってりゃあ「ダメだったね」といえますがこうして書いてますのでね、年末ジャンボが当たれば、年末ジャンボの1等前後賞が当たれば、まだ俺にチャンスは有る!(ここで買ってないことに気づいてチャンスはなかった事が判明。)

 ともあれ、ソマリア脱出計画はこうして頓挫しました。当面はSVとAとが協議しながら上司代わりをするということになりました。上司の忘れ形見として紹介予定派遣で来ていたFさんは残されました。彼女が私の怒りの導火線のキーパーソンとなります。なぜか。私の希望だったからです。彼もまた2014年すえに失意のうちに去っていくことになりますが、その時点より前、ガキのお守りは私1人で行う羽目になっていたのです。AKさんがガキのお守りブルーになったためです。一時期3名で回していた業務は私1人で執り行うことになりました。
 私はサポート業務の一環として社外用の資料作成を1人でおこなってました。専門的資料でありかつ社外に出すものですからCI上もいい加減なものを作るというわけにもいきません。初版リリース時には12連勤をして朝帰りもしたのはいい思い出です。(すごく充実感あったし本当にいい思い出)。これで手を抜くと社内外のたくさんの方に迷惑をかけるので注力してやっていてかつやりがいもありましたが、緊急度がこれより高い業務が3倍となり、とうとうこの資料作りと更新は1日が24時間であり私が1人であるのでできなくなりました。分担できるような信頼に足る人物は部署内におりませんでしたし。しかし、この業務を行っているのが私でありかつ1人であるということは、社内に知る人が誰もいなかったことがあとから判明します。まじかよ。