たちばな し

休職と復職にかかる記録残しです。ビジネス論も少しあるよ。

メモランダム26

メモランダム26

 アニメなら2クールですね。ひとまず最終回です。

 はじめは3ヶ月で復職するつもりで有給休暇は10日以上残していました。年末で、つまり昨日でぜんぶパアになる対象だったのですが、言ってみれば「1日休んで何万円かもらえる券」なわけじゃないですか。経済学的な視点からすれば経済学上の自然人は「もっぱら「経済的合理性」にのみ基づいて、かつ個人主義的に行動する」のが前提ですからこれをみすみすドブに捨てるか?という話です。今年のノーベル賞経済学賞受賞者を思い出しましょう。人間経済合理的にはまず動かないものでしたね。
 ともあれ、休み中出来なかったいろいろな知識のキャッチアップも必要だし、何しろ見たくない面を1日見なくて済む権利ももれなくついてくるのだからこの権利を使いたくないなんてことはありません。全部使い切りたい。でも使い切るとなると12月いっぱい不在となるので遠慮しましたよ。今週いっぱいの使用で我慢することにしました。チームの内半数以上に怨みはないですが、顔合わせてないAと不意に顔合わせてポリス沙汰のトリガー引かされるとかとかゴメンですからね。君子危うきに近寄らずです。Wの声だって聞いてて虫酸が走る。聞きたくねえ。そのためには私には有給の消化が望ましい。そういうことです。

 上長から数日後呼び出しがありました。
(1) みんながどう思うか考えてるか?
(2) 第2四半期第3四半期と事情があって皆休みを取れていないので辛抱して欲しい。
(3) ちょっと忙しくなるはずなので辛抱して欲しい。
(4) 俺が社長ならみんなが必死に仕事してるときに「僕は休みます」なんて言うやつはクビだ

 一字一句間違いなく覚えているとはいえません。要点は抑えているつもりです。録音しておけばよかったな。
 3つ目は時季変更権の行使として是認できます。そう言われちゃ仕方がない。
 1つ目については休養に入る際に皆の心配など無視することを決めて休養することにしたのです。みんながどう思うかなんて同調圧力より自分の身体と生命の安全を優先ししたのです。同じことです。何が悪いか。(まあそんなことを口に出してはいないわけですが。) 不満だろうが心配だろうが私の知るところではないっての。俺の健康の安全くらい自分で確保させてくれ。何しろ想定外の復職拒否されるほどひどかったわけなんだぞ。

 2つ目は書いてて思い出したのですが、正直そんな自分の管理能力の低さをこちらに転嫁されても困惑以外にすることがないです。それでも休み取らせるのが「いい会社」なんじゃないですか。私なら有給休暇付与初日に年内の消化計画を提出させます。9割は計画に書かせます。1割位は急なことで必要になるかもしれないから残しておいてもいいでしょう。被った分はすぐ調整すればいいでしょう。喫緊のものでなければ。そもそも日本人は同調圧力で休み取りづらいと思ってるっていうのは半ば常識のはずです。意識高けりゃそんなの知ってんでしょ。それを同調圧力で権利行使を阻止するか。俺の不調が加速し始めたのはいつからだ。もう嫌われる決意もずっと前についてんだよこっちは。じゃなきゃ休めもしねえよ。そういう話です。

 4つ目に関してはもはや言語道断です。「それでも休むならずっと休みだ」って言ってるのと同じでしょう。録音してたら相対して労基に直行案件だよ。一体この会社管理職研修で何やってんだ。

 このとき私もちょっと不思慮がありまして、まあ先程書いたとおり嫌な奴の顔見て気分を害したくないだけだったのですが、下手な婉曲をしたのですね。そしたらダメな筋に進んでしまったようで「健康に不安があるならまた休め。そうでなければ問題ないって診断書貰ってこい」という話になりました。人事も同席でです。人事も同調しました。まだ本調子でない私はこのときこの発言がどれだけ理不尽か気づきませんでした。診断書を貰いに行って主治医から「そんなのおかしいよ」といわれ、産業医から「安全配慮義務があるからね」と言われ、ようやくこのおかしさがようやく言語化できるところまで理解できました。
 「なんで会社側が負う安全配慮義務が、俺の金で診断書を取得するという会社側が全く義務も負担もない方法によって成し遂げられなければならぬのだ」と。休ませればそれで安全配慮義務果たしたことになるんじゃね?と。

 わたしは大人なので今週はきちんと営業日全部出勤しました(は~と)

 そしてこの上長の信頼残高は0になりました。4つ目だけで信頼残高0になるのに十分なのですが、この上長以前に「みんな言ってるよ」なんていわれて「みんなって誰?」って尋ねても良くてせいぜい2人か3人しか名前出てきやしねえ。大概は本人だけのくせに「みんな」っていいやがる、そういうことを言ってたわけです。それなのにそこでみんなって言われてもねえ… 筋通ってないよ。悪いけど納得しかねるよ。

 ちなみに「みんな心配するから」「私達嫌われてるのかしらって思う人もいるから」みたいなことはこのあとにも再度言われました。また別件ですが。「みんなって誰だよ。自分で「これこれこういうわけで他意はないから」って自分から説明するよ」って言いましたが、口を濁され、なんだかんだ言って次々に理由を持ち出して業務時間外のことを強要しようとしました。本当に呆れた。
 「理解して理解される」ねえ。なんで俺がこんなに強硬なのかあんた理解してるか。上長さんよう。言いたくなったけど私は大人ですから言いませんでしたけど。
 後出しでずるく思われても仕方ないですが、「そっか、出たくないのか、じゃあみんなの心配は俺がなんとかなだめておこう。でも次は出てくれないかな」とか新たな提案だったらもっと受け入れたいと思ったかもしれません。それこそ「理解して理解される」のやり方じゃないのかと思うからです。「今回だけ!今回だけ!」でもひょっとしたら受け入れたかもしれません。
 しかし、「理解して理解される」という言葉を悪用して「何が何でも俺の思うとおりに行動しろ」というつもりである地金が見えてしまってる以上、私の意地にも火がついてしまっています。この上長が私の操縦法に気づかない限りは関係修復はもはや無理でしょう。(俺ってなんて面倒くさいやつなんだ)
 あと、「みんなの心配」という用語を用いてかけてくる同調圧力も大嫌いでした。私は他人の心配などしないからです。薄情だというのではありません。無事を信じるからです。心配は心配している本人の事情に過ぎません。私みたいに「絶対無事を信じるから安心して見守ることにする」と固く心に決めている人間のことは理解できないでしょう。だから「Seek first」が頭につくのです。「To understand, then to be understood」だけじゃないのです。分かり合えないのが前提で、それでもなお理解をしようという姿勢が人の心をうごかして相互理解につながるものだと私は信じます。7つの習慣自体はだから否定してません。誤った理解と思うものは否定しますけど。

 私は私自身過去に不義理何度かしてまして、涙の味のパンも食いました。だから、、、といってもつながらないのですが金や名誉フリーの私利私欲(例えばこのお客さんこういうことで困ってんだけど、手詰まりで自分も困っててなんとかこれ進展させられないものか、など)に基づく熱意や執念には割りと強く心動かされます。そういうことなら過労死しても本望というものです。過労死しちゃうと余計な迷惑かけるから多分実際は休むけどさ。そういう行動原理まで知ろうとすることが「Seek first to understand」なんじゃないですかと。7つの習慣最初に持ち出したの誰ですか。あなたでしょ。
 休んでる間も他部署の無茶振りに「理解できません」なんてコメントしてたの見ましたよ。確かに無茶振りだから受けないという判断は是認できる。でもさ、7つの習慣それだけ持ち出しておいて「理解できない」っていうのはないんじゃないの? 筋通ってないと思うよ。7つの習慣いつも持ち出してるなら「そういう希望があるのは理解した。しかしながら~」つうのが本筋でしょ。

 そういうわけで怒ってるんですけども、害意がないのは知ってます。無能で説明が付けばそれだけのことですから。ただし、なぜハンロンの剃刀なる格言が今でも生きているのかというと、人は極度の無能が悪意に見えてしまうからです。両者はとても似ているのです。善意でやったことが悪意と受け取られもします。無能ならなおさらでしょう。だったら区別をやめて無能ということで片付けてしまえという教訓です。本物の悪意はむしろ善意の形を取ってやってきますから。善意にこそ警戒すべきです。そう言えばAの「良かれと思って」に何度唇を噛む思いをさせられたか。千手観音をお連れして指折り数えていただいても足りないくらいです。「絶対これが良いと信じた」と思ってやれよ。「良いといいなあ」じゃねえよボンクラめ。

 結局この怒りはどこから来るんだろう。ひょっとしたら自分の人を見る目のなさへの自己非難なのかもしれません。あ、期待すれば裏切られるということそのものから来る「裏切られた」って間抜けた勘違いによるものかもしれません。向こうは信頼しろなんて一言も言ってないのにね。


 結局自己非難オチというつまらない手記ですがここまで読了してくださった皆様、ありがとうございます。何かの役に立ったならば、この先立つことがあれば幸甚でございます。一旦ここでキーボードを休ませたく。ありがとうございました。