たちばな し

休職と復職にかかる記録残しです。ビジネス論も少しあるよ。

メモランダム19

メモランダム19

 前年の目を開けていられなくなったやつ(眼瞼痙攣様の症状)もあり、産業医面談を組まれました。前後関係は覚えていませんが眼科に行って、精神科に行って、呼吸器科で睡眠時無呼吸症候群(SAS)ではないことの診察を受けるよう指導されました。
 …いやおかしい。この前後関係はおかしい。この時系列のはずはないな。確かに精神科でSAS検査の指示はされたしその前に眼科にも行っているんだが…。ともあれ、もうこの頃の記憶はめちゃくちゃということはご理解ください。
 マヌケな話ですが相当溜まっていたストレスのため、そのはけ口に浪費を相当していたようで(本人にはその意識はないのです)、検査入院の預け金5万円すら捻出できず、検査は伸ばしておりました。当時は半端な知識しかなく「痩せればなんとかなる」ということで痩せようと試みてはいましたがまあ体重は減らないわけです。
 それもそのはずで、「寝てないからその分は食って補おう」と無意識が考えるようで、食うのです。痩せません。睡眠時無呼吸の怖いところは脳がいかれるのでストレスが知らない間に蓄積して防衛機能を取ろうとすることです。太るとなり易い病気なのになるとさらに太ろうとします。結局年を越して数ヶ月は根本的な手を打ってなかったことになります。産業医面談でははて何と言われたものだったか…
 実はそれ以前にも産業医面談こっそり受けてたんだけどさ、はっきりしなかったよね。(その後産業医の入れ替わりがあって、変わったあとの産業医と面談したのです。)

 精神科にかかったのは4月中のことか3月からかは覚えていません。記録を見ればわかることですが… 2月に眼科、3月に眼科、4月に眼科に行って。4月から精神科にかかっていました。いつだったか「お前本気で病気治す気あるのか」と言われたことも思い出しました。だから眼科行ったのかな。治す気とかそれ以前に悪化の原因をどうにかしてくれよと思っていましたが。とにかくWとAに囲まれた席の居心地は最悪でした。2人によって他のメンバー全員から隔離された気分でした。とにかクソの席にいるのは嫌だったことは今でも頭痛がしそうなくらいよく覚えています。
 4月に精神科へ行ってSAS検査を指導されたのは間違いありません。SASの確定検査って検査入院が必要で安くて3万円ほどかかるんですね。それすら出費が嫌で嫌で仕方ありませんでした。なんでこいつらボンクラのせいでおれが3万も失わなければならんのかと。SASの兆候はそれ以前からあったのです。もっと酷いときはありました。なにしろ寝入りばなに自分のいびきで目が覚めたもんね。それでも業務はできていたのです。悪化させたのは上長も含めてボンクラ共だという意識は今でも失ってはおりません。まあ、とばっちりとか言うなよな。
 こっちが必死で「この席本当にしんどいから席変えてくれ」って言ってんのに「そもそもここがいいって行ったの自分だろ」って、上長それ普通言うか? こっちが怒りのあまり「じゃあここでいいよ」って言ったの揚げ足とるかおい。

 それはそうと、「辛いなら休んだらどう?」と精神科医に勧められ、どうしようかと迷っておりました。言われたその日は「そこまで重大なことじゃない」と思っていました。しかしながらある日上長と話した直後に気が付きました。

 「理性の制御がやばい」。

 男の独り身なものですからそりゃあスケベの少しくらいは考えるわけですが、上長と話した直後とある女の子の唇に吸い寄せられそうに感じたのです。もちろん実行すれば社会的に死にます。私が「医者が休職を勧めますので休みます」と告げ、私は直後、即日休むことに決めたのです。ストレスの元を取り除くことを拒む上司とボンクラの壁、こんなものに囲まれてたらこのままだと本当に「死ぬ」から。


 休むと決めたらすぐに調べ物です。安く検査入院ができるところを探し、入院前検査を受けて、検査予約をしました。この時点では検査まで3週間、結果がわかるまで3週間、治療の結果が見え始めて1月、まあ3ヶ月もあれば戻れるだろうと思っていました。なのでこれまでの辛抱の代償として多少の自由は謳歌させてもらおうと検査日は最短の1週間後にしました。

 その間は毎週精神科通いです。休職には診断書が必要ですがそのためには週次でかよわなきゃならんと。あんまり休みって感じはなかったですね。まあ毎日Amazonで動画見てた気がします。正直良く覚えてないです。